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ジャグージ
 グアム島アプラハーバーを出港した「おせあにっくぐれいす」は、南西約670キロのウルシー環礁をめざして紺碧の海を進み、そして沖に錨泊。そこから、テンダーボートとゴムボートを乗り継ぎ「冒険ダン吉」になった気分で、無人島・ソーレイに上陸した。
 船の人だけしかいない秘密の孤島は、中央にジャングルが繁り、白砂の浜が島を縁取りするように長く伸びる。透明度の高い海は、50メートルも進むと、眼下に巨大なテーブル珊瑚とそれを取り巻くカラフルな魚達が手に取るように見える。竜宮城で遊ぶような自然の生み出した海底絵巻だ。
 海から上がれば、「おせあにっくぐれいす」の料理長が取れ立ての椰子の実を剥いて「さあ、フレッシュ・ココナツジュースをどうぞ」。その野性的な甘さは、間違いなく南海のパラダイスに辿り着いたことを教えてくれた。


 先程から、船のスチュワードがTシャツを着たまま、肩まで海に浸かり、婦人客の手を取って、シュノーケリングを教えている。自分自身は、何度も波をかぶりながらも嫌な顔一つ見せず接するスチュワード。やがて、戻ってきたその婦人客は「カナズチに近かった私が、65歳になって、きれいな魚達を見ることができたのよ。もう感激!」と頬を紅潮させ語ってくれた。献身的とも言えるサービス精神で、船客に忘れられない思い出を作ってくれたのも、「おせあにっくぐれいす」のクルーズだった。

 「パレスホテル仕込みに潮の香りが加わった味」これが、「おせあにっくぐれいす」の食事の特徴だろう。ウルシークルーズでも、世界の3大珍味であるキャビア、フォアグラ、トリュフがテーブルを飾った日もあれば、翌日は南十字星を探しながら屋外でデッキバーベキューディナー。

デイラウンジ
 食後のポリネシアンダンスショーが終わる頃、ちょっとしたハプニングが起こったこともある。船の光にアジの大群が押し寄せてきて、急遽、船尾で「アジ釣り大会」が始まったのだ。魚に詳しい船客から「これは関西では高級魚のメアジです」と教わると、竿を握る手に力がこもる。その日の夜食は飛びきり新鮮な「メアジのタタキ」。釣り上げるとすぐにギャレーで調理し運んできてくれ、満天の星空の下で舌鼓を打った。


 操舵室を解放し、いつでも船客が立ち入れるオープンブリッジ方式を取り入れていたことも画期的で、キャプテンやオフィサーから聞く話も面白かった。初代の一木船長は、スマートでありながら駄洒落れの王様。長身で男らしく、メスジャケットが似合う中務船長。穏和な青島船長のダンスは、人柄が伝わってくるように優しかった。物静かな鳥居船長、若くてハンサムな開船長。これらの船長さん達を先頭に、一丸となって、安全で楽しいクルーズ提供してきたことは、敬服に値する。

中務キャプテンと
 ベルリッツのクルーズガイドでも高得点を維持しつづけた「おせあにっくぐれいす」は、紛れもなく日本の誇るクルーズ客船だったのだ。こんな素敵な船があったことを記念に残したいと考えた私は、カメラを持ち東京港で「おせあにっくぐれいす」を待っていたのである。
 無事に着岸後、素早く岸壁には船長以下、主な乗組員が整列しお見送りをする、恒例のフェアウエルラインが作られた。名残惜しそうに船員と握手を交わし、何度も振り返りながら、帰路に着くお客様達。旅のフィナーレの邪魔になってはいけないと、遠くからこの様子を見ていた私に声がかかった。
 上田様、お帰りなさい。お久しぶりです」。最後までこの船はびっくりさせてくれる。何故なら、私は、丸三年以上「おせあにっくぐれいす」には乗っていないのだ。昭和海運の大戸氏に船内を案内してもらいながら、ダイナースクラブのクルーズセミナー講師として話をしたラウンジ、シャンパン片手に入ったジャグージ等々、思い出の場所を目に焼きつけ、胸の中でそっと別れの言葉を告げた。

 期せずして、日本のクルーズ界から撤退することになった「おせあにっくぐれいす」だが、残念がってばかりはいられない。彼女には新しい道が開けているのだ。P&Oスパイスアイランドクルーズ社の「オセアニックオデッセイ」と名前を変え、インドネシアの島々を巡る予定だ。新世界での更なる活躍を心から祈りたい。



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