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【カンボジア】観光情報
情報提供:カンボジア政府観光局東京事務所
●世界遺産(1995.10現在)
1.アンコール遺跡群
●主要都市・観光スポット

<プノンペン>
メコン川の河口より約300m上流で、トンレサップ湖との合流点に位置するプノンペンは、1866年よりカンボジアの首都。プノンペンとは“ペン夫人の丘”を意味しています。一時はポル・ポト派により市内の全住民が強制移住され、さながらゴーストタウンのようでしたが、現在は人々も戻り、和平の明るい見通しと共にかなり復興されてきたようです。
しかし、一部ポル・ポト政権時代の生々しい傷跡も残っており、今でも動乱の時代を垣間見ることができます。
○王宮
1886年にノドロム王(シアヌーク国王の曾祖父)によって木造で建造されたものを、その後、1913年から3年間をかけてシズド王が現在のコンクリート造りに立て替えました。入り口から入って左手の道路に面した所に、舞踏殿と王位の記しである「プリヤ・カン・リヤッチ」を安置する聖剣殿が、また、西側の一番奥には宮殿があ
ります。
王宮の内部には、外国からの贈り物やアンドウオン王以降の各王の日用品を展示した王宮博物館がありますが、残念なことに、現在は政務の場として機能しているため見学は不可能となっています。
写真・ビデオ撮影はOKですが、カメラ持ち込み料US$2,ビデオ持ち込み料US$5がかかります。
○シルバーパゴダ
ノロドーム王がバンコクのワット・プラケオ(エメラルド寺院)に魅せられて1892年に建立した寺院。1枚の重さが1kgの銀のタイル5000枚を床に敷き詰めていることから、この名前が付けられました。
パゴダ内には、金とエメラルドで造られた仏像などカンボジアの文化的遺産が数多く収められていますが、中でも150ポンドのダイヤモンドをはめ込んだ大仏は必見です。
尚、このシルバーパゴダ内は土足厳禁です。また、歩く際は銀の床の上に敷かれたカーペットの部分を歩くようにしてください。
○ツール・スレーン博物館(ポル・ポト戦争犯罪博物館)
ポル・ポト政権時代に監獄として使用され、数多くの罪なき人が投獄、拷問、処刑された場所。
ポル・ポト政権は私有財産を認めず、貨幣制度も廃止。資本主義に毒されている都市(プノンペン)を憎み、破壊し、住民を全て地方に追い出しました。さらに、政権の矛先は知識階級の人に向けられ、僧侶、ロンノル政権(前政権)時代の軍人、教師、技師、公務員など多くの人々に被害は及び、処刑された人は、現在明白になっているだけでも1万4500人にものぼると言われています。その中には、約2000人の子供も含まれていました。
博物館は4棟から成り、独房、集団房、拷問に使用した器具、犠牲者の遺品、虐殺された人の写真などが展示されています。
○独立記念塔
プノンペン市内の南部に位置しており、人々の心のシンボル。夕暮になると美しくライトアップされ、市民の憩いの場となっています。
○ワット・プノン
1373年に建立された、プノンペン最初の仏教寺院と伝えられる寺。“プノンペン”の名称の由来となったペン夫人がメコン川で流木を拾い、その中から見つけた4体の仏像を納めるために造られたとされています。また、この寺は市内のどこからでも見える場所に位置しています。
尚、お堂の中は土足厳禁となっています。ご注意ください。
○セントラル・マーケット(中央市場)
プノンペン市民の胃袋とも言える市場。日用品、食料品、衣料品をはじめ、貴金属や宝石などありとあらゆるものを売っています。ぶらぶらと見て回るだけでも楽しい場所です。
ただ、偽物も多く売られていますので注意してください。
○国立博物館
王宮の北隣りのメンの広場に面した古風な朱塗りの建物。アンコール遺跡から発掘されたものを中心に、数多くの国宝級の彫刻が大小取り混ぜて数千点展示されています。
特に、展示されている仏像の造りからは、宗教が、上座部仏教→ヒンディー大乗仏教→再び上座部仏教を変わってきた様子が分かり、興味深いところです。
その他にも、フナン末期の6世紀からアンコール末期の15世紀に至る時代の石 、漆器作品、青銅作品、壷類、木彫り製品、19世紀における王室の使用品や楽器などの素晴らしい品が並んでいます。
ツアーの場合、館内は専門ガイドが説明しながらご案内しています。
尚、館内は残念ながら撮影禁止となっています。大きなバッグやカメラは、入り口でお預けください。
★売店、トイレ(US$1のチップ要)有り
○キリング・フィールド
ポル・ポト派によって大量虐殺が行なわれた場所。人骨が掘り起こされ、塔の中に積み立ててあります。
○日本橋
トンレサップ川に架かるチュロイ・チャンバール橋のこと。シアヌーク時代に日本企業により造られたので、日本橋と呼ばれています。
この橋は、ロンノル時代の1979年に爆破されましたが、1994年2月、日本の援助により修復されました。
○軍人市場
セントラル・マーケットから空港に向かう途中に位置。現在の警察やカンボジア軍隊の服、靴、ワッペン、バッジなどありとあらゆるものが売られています。
<トンレバティ>
プノンペンからタケオ方面に30km程の所に位置する街。ワット・タプローム、プノン・チソウ、アンコール・ボレイなど、アンコール様式の小さな遺跡がたくさん残っています。
<タケオ>
日本からの自衛隊派遣問題が起こった際、TVや新聞、ラジオ等でこの名前を耳にした方も多いと思います。街自体は、特に見所はありませんが、この街に向かう途中の田舎の村の景色がとても美しい。
プノンペンから、車で片道約2時間です。
<コンポンソム>
昔のシアヌークビル。きれいな海岸で有名な街です。但し、治安はあまり良いとはいえないので、訪れる際は十分な注意が必要。プノンペンから南西に約230km。
<シェムリアップ>
アンコール遺跡見学の拠点となる街。緑豊かなのんびりとした田舎街で、治安もまず問題ありません。
○アンコール・ワット

クメール(カンボジア)語で“寺院のある街”を意味するアンコール・ワットは、世界有数の遺跡として名高いヒンズー教寺院。
5基の高塔は須弥山(メール山)を、周壁はヒマラヤの霊峰を、環濠は深く無限な大洋を象徴するというように、アンコール・ワットはクメール的な神の世界(宇宙観)をこの地上に具現しようとしたものです。
注意!
アンコール遺跡(アンコール・ワット、アンコール・トム)にはトイレがありません。出発前に必ず済ませるようにしましょう。
1.建立とその時期
アンコール王朝最大の君主の一人、スールヤヴァルマン2世が1113年に即位するとすぐに着工され、約30年の歳月をかけて建立されました。
2.建立の目的
建設当時のアンコール・ワットには、スールヤヴァルマン2世とヒンズー教のヴィシュヌ神が合体したヴィシュヌラージャ神仏が祀られていました。この神仏は、スールヤヴァルマン2世のヴィシュヌ神への献上物であると同時に、死後の王自身の荘厳な墳墓としての意味も持っていました。
王はアンコール・ワットを建立することによって王権を神格化し、その権力を保持しようとしたのではないかと伝えられています。
3.建立方法
クメール芸術の最高傑作であり、建築学上の驚異でもあるアンコール・ワットがどのように建造されたかは、現代の建築学者のとっても全くの謎となっています。
4.規模
・環濠 :四周5.4km(東西1400m、南北1300m、幅190m)
・西参道 :540m(幅12m)
・三重の回廊:第1回廊 〜 東西200m、南北180m
第2回廊 〜 東西115m、南北100m
第3回廊 〜 東西60m、南北60m
・中央塔 :本殿の中央尖塔(高さ65m)を中心に5基の塔から成る
5.アンコール・ワット内部
第1回廊
・西面南側(「マハーバーラタ物語」)
カラヴァ軍とパンダヴァ軍との戦闘場面。この浮き彫りの躍動的で精巧な手法は、美術的にも高い評価を受けています。向かって左側がカラヴァ軍、右側がパンダヴァ軍。
・南西隅塔
内部は一面の素晴らしい彫刻で飾られていますが、残念なことに天井から漏れる水の侵食によって、かなり損なわれています。壁面上方は昼間でも薄暗いので、明かりを用意しないとはっきり見ることは難しい。
・南面西側
王座に坐るスールヤヴァルマン2世と、彼の軍団の堂々たる行進の図。4本目の柱の前に刻まれているのが王の姿です。
・南面東側(「天国と地獄」)
極楽と地獄の想像図。極楽界には数多くの王宮と安息の日々を送る光景が、地獄では現世において罪有る者が死後に苦悩を受ける32の地獄絵が描かれています。当時の、天国と地獄に対する認識を読み取ることができます。
・東面南側(「乳海撹拌」)
ヒンズー教神話による天地創造の場面。
「神々とアスラ(阿修羅)が、ヴィシュヌ神の化身である大亀の背中に大マンダラを乗せ、これを心棒にして大蛇ヴァーチスを綱として巻き付けた。そして、綱引きの要領で山を大回転させ、大洋をかき混ぜたことによって、大洋が乳の海となり、海中からヴィシュヌ神が不死の霊液である甘露を得て高く掲げた。」
・東面北側
ヴィシュヌ神にまつわる戦争の様子。南側から進軍してくるのが悪魔の軍団、北側から進軍してくるのが神々の軍団です。中央部にひときわ大きく描かれている、神鳥ガルーダに乗ってはるか南方を望んでいるのがヴィシュヌ神。
・北面東側
ヴィシュヌ神の化身であるクリシュナが、神鳥ガルーダに乗って怪物バーナを征伐する過程が描かれています。最後の方(北中央口に近い所)では、ついに怪物バーナが降伏しシヴァ神の前にひざまづいています。
・北面西側
アスラ(阿修羅)と戦うヒンドゥー神々の様子。髪を三角帽のように結い上げているのが神々、髪の付け根をはたきを立てたように縛っているのがアスラです。
・北西隅塔
ヒンドゥー神話や伝説の中の様々な場面が描かれています。南西隅塔と同様に薄暗いので、明かりの準備が必要。
・西面北側(「ラーマーヤナ物語」)
ラーマーヤナ物語のクライマックス、ラーマ王子と猿王スクリーヴァ率い る軍団との大合戦絵巻が次から次へと展開されています。
十字型中回廊
第1回廊と第2回廊とをつないでいる部分。この回廊には、屋根にまで花弁模様や苦行僧などの精細な浮き彫りが刻まれています。また、柱の部分には14箇所にわたり日本人による墨書跡があり、中でも森本右近太夫のものは有名。
○アンコール・トム

アンコール・ワットの北方約1.5kmに位置するアンコール・トムは12世紀もしくは13世紀初頭にジャヤヴァルマン7世が造営したクメールの王都。その名前は、クメール語で「大きな町」を意味します。
アンコール・ワット建築後、政治的に不安定で内戦がつづいていた12世紀半ばのカンボジア国内の状況を、1181年に即位したジャヤヴァルマン7世が治め、その栄光を誇示するために大乗仏教を信仰する同王が建立したと伝えられています。
アンコール・トムは、ヴィシュヌ神に捧げられた憤土寺院のアンコール・ワットとは異なり、仏教を奉じた王の宗教都城で、内部にはバイヨン寺院を中心に数多くの遺跡が残されています。
★売店(Tシャツ、拓本、ジュースなど)有り
○アンコール・トム南大門
5つの大門(「勝利の門」、「死者の門」、「南大門」、「西大門」、「北大門」)のひとつ。門の高さは約23mで、上部には観世音菩薩といわれる四面の仏顔が四方を見据えています。
城内へ入るには、幅113mの環濠にかかる陸橋を渡ることになりますが、この陸橋の両側には七つ頭のナーガ(大蛇)の胴体で綱引きをする54体の巨像が並んでいます。これは、ヒンズー神話の「天地創造」の場面を立体的に表現したものだそうです。
○バイヨン寺院
アンコール・トムの中心に位置する、須弥山(メール山)を象徴化した仏教寺院。ひときわ高く岩山のようにそびえる45mの中央祀堂の中には、王を神格化した特別な仏王(ブッダラージャ)像が礼拝されていたそうです。
この寺院は、二重の回廊の中心にある中央祀堂と、それに隣接する16の小堂で構成され、各塔の上部にはジャヤヴァルマン7世が帰依した観世音菩薩の仏面が
50余りも取り付けられています。このクメール様式独特の仏面塔は、王の支配が世界中に及んでいることを表しているそうです。
尚、内部は複雑な造りになっていますので、迷わないようにご注意ください。また、回廊内の浮き彫りは光の関係で見づらいものもありますので、懐中電灯をお持ちになると便利です。
・バイヨンの微笑: バイヨンの階上テラスから見た巨大な観世音菩薩の、深い瞑想と慈悲を暗示する穏やかな表情のこと。あらゆる危機から人々を守り、衆生に救いの手を差し伸べる救世主の菩薩の慈愛こそ、ジャヤヴァルマン7世統治下時代の精神の最高の価値とされており、この微笑は美の極致でした。
・第1回廊 : 回廊の屋根が落下してしまいましたが、側柱と壁面だけはきれいに残っています。壁面には当時の庶民生活や戦闘場面が、また、柱には天女アプサラスの絵が無数に刻まれています。
・第2回廊 : ヒンズー神話や伝説を主題とした浮き彫りが刻まれていま す。
○パプーオン寺院
ウダヤーディティヤヴァルマン2世が建立した、高さ24mのピラミッド型寺院。第2次アンコール都城の中心寺院という役割を果たしていました。
○ピメアナカス
ラージェンドラヴァルマン1世によって建立されたピラミッド型寺院。不老不死の蛇神ナーギが住んでいたという伝説が残されています。勝利の門を入り、西に進んだ突き当たりにある王宮の中心に位置します。
○象のテラス
12世紀もしくは13世紀初頭にジャヤヴァルマン7世が建造した、高さ3mの露台テラス。露台壁面には神象と神鳥ガルーダの浮き彫りが刻まれています。
○タ・プローム
ジャヤヴァルマン7世が母を弔うための菩提樹として1196年に建立。タ・プロームとは「梵天の古老」を意味します。ガジュマルの大木に覆われたこの寺院は、人為的な修復は一切加えられておらず、発見された当時のままの姿で残されています。
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